「HERO-真の英雄- 参」   優サマ
「お館様、姫様の事は如何なさるおつもりです」
冥加が言った。
「この事、清牙王様にもお伝えした方がよろしいのでは?」
貴族の城の手前まで来ると、闘牙王は冥加に命じた。
「冥加、俺は十六夜に話がある。お前は先に戻れ」
「は……、はっ」
「あの事は、清牙王には言うな」
そう言うと、闘牙王は塀を飛び越え、城へ乗り込んだ。
「――どなたです」
障子に人影が映り、十六夜は声をかけた。
だが、何も答えず、障子は開けられた。
入ってきた闘牙王の姿を十六夜は目にすると、何とも愛らしい笑みを浮かべた。
「まあ、闘牙様」
この頃の十六夜はまだ十代。同じ年頃の流麗もそうだ。
姿は“可愛い”ではなく、“美しい”と言った方が合っている。
「闘牙様、城の者達は……」
「見張りの一人も気づいておらぬ」
十六夜は安心して、ほっと胸をなでおろした。
闘牙王は十六夜の前に腰を下ろし、急にこうも十六夜に訊ねた。
「十六夜、どう言ってくれても構わん。私の姿、見たままのものを正直に答えてくれ」
突然どうしたのかと思いながら、十六夜は闘牙王に言った。
「答えずとも、闘牙様はとても勇敢に見えます」
「――英雄ではなく、勇敢にか?」
「はい。お仲間達を想い、守る。素敵なお方です」
十六夜の言葉に、闘牙王は突如俯き、頭を抱えた。
「――如何なされたのです……」
「たとえ勇敢であっても、それは陰(いん)の姿だ。
私は長という、大妖怪という、ただ簡単に言える存在で……望む父のような英雄には、どうしてもなれぬ……」

『父上、こんな所で何をしている。早く、傷の手当てをしなければ』
『――くだらん……どうせ永くはないこの身に、最早無駄なことはせぬ』
『その様な事を言うなど、父上らしくもない。さ、早く城へ』
『闘牙王、今、余の座をお前に譲ろう』
『――――』
『だが、お前にとってやるべき事とは何だ』
『やるべき事、ですか?』
『清牙王と共に、この国をただ根城にする事か。それとも命を懸け、竜舌蘭や、その他、魑魅魍魎と闘う事か』
『英雄なる貴方の血を受け継いだ私は、貴方と同じ道を進むまでです』
『――ふん……つくづくお前は、つまらぬ漢(おとこ)よのお……』
『――――』
『闘牙王よ、どうも余の目には依然……お前は悪い風にしか映っておらぬようだ』

「父は私に座を譲っても、きっと期待はしていなかったはず。きっと清牙もそうだ」
「――――」
「姪には、愛する男がいる。男も姪を愛している。
だがその男は過去に、いつか妻になる女がいた。
命を懸けてまで守ると約束したのにも関わらず、敵と起こした乱闘の末、一族も、女までも死なせたのだ」
「――――」
「約束を破ったと、私や清牙は男を許すことが出来ぬ。
だが、それが仇(あだ)となって清牙共に、姪を暴言で押し付け、深く傷つけてしまった。
後々いつも、後悔ばかりするのだ」
頭を抱え、嘆く闘牙王に、十六夜はこうも言った。
「闘牙様、貴方や、清牙様は気づいていないだけですよ」
「――気づいていない?」
「一時はその御仁に失望なされても、今は既に、その御仁を許して認めている。
ただそれに、闘牙様と清牙様の心のどこかが、気づいていないだけなのです」
「――――」
「妖といえど、わたくしもそのお二方が気になって仕方がありませぬ。
わたくしの代わりに、どうか大きく羽を広げ、暖かく見守ってあげてください」
「――分かった」
「それから、今後は英雄になろうとは思わないように」
「何故だ?」
「あなた方一族は、他者とは違った意の英雄になる為に、生まれてきたのです」

間もなく、闘牙王は城を出た。
「――お館様!」
「なんだ、冥加。戻ってはいなかったのか?」
「いややはり、主を置いて戻ることは出来ませんで」
冥加のその発言に闘牙王はふと思いついた。
「ならばもし今、俺がどこぞの妖怪と闘うことになれば、お前はもう俺を置いて逃げはせん。そういうことだな?」
「そ、それは……」
「それとこれとは別か?」
「――我が命はお館様と共にですじゃ!冥加はどこまでも、どこまでも、ついてゆきまするぞ!」
闘牙王と冥加が会話を交えている時、
「旦那様!」
侍女が一人、とても慌てた様子で駆けつけてきた。
息を荒しながらも、闘牙王の前に侍女は跪いた。
「水菊。何事か?」
「旦那様、嵩明良様が城に……」
「――――」
「姫様と、旦那様のお帰りをお待ちしております!」
そう聞くと、闘牙王は急いで城へ戻った。
城へ着くと、果たして、門前には流麗と嵩明良が並んで立っていた。
闘牙王は清牙王の横に足を止めると、険しい表情で流麗と嵩明良を見る。
「お帰りをお待ち申し上げておりました、お館様」
流麗が言い、闘牙王は訊ねた。
「流麗、何故命を破った」
闘牙王の眼差しに周りの家来達はとても嫌な予感を感じる。
だが、流麗と嵩明良は至って冷静。呼吸と鼓動は平常だ。
堂々とした態度で、流麗は言った。
「罰はいつでも受けます。罰を覚悟して、嵩明良に逢いに行ったのですから」
「――――」
「けれどその前に、嵩明良の話をどうしても聞いてほしいのです。これを最後として……」
「――聞いてやろう。言え」
闘牙王が言うと、流麗は嵩明良に視線を送り、嵩明良はついに言葉を発した。
「あなた方の父君が、生前に闘った竜舌蘭一門が、近日、日本に来ると知りました」
「それで?」
「竜舌蘭らと闘う事になれば、この嵩明良も、全力で闘おうと」
「やつらは、我が父も大変梃子摺られた。お前には到底敵わぬ」
「お言葉ですが、この流麗は闘いに慣れていたとしても、所詮は力も強くない女童(めのわらわ)です。
あなた方も、闘いながら流麗を守るという事は、とても難儀でしょう。
流麗と出会い、更に愛せば、吾は流麗を竜舌蘭から守る義務があります」
「――――」
「如月が死んだ事で一つ……より大きい覚悟を心に持ちました」
「――なんだ」
「闘いの際、吾が流麗の傍にいるにも関わらず、流麗に傷など負わせたその時は、
どうぞ吾を捕らえるなり殺すなり、ご自由に」
「お館様、父様。もしも嵩明良を殺すはめとなったら、私はこの剣で、自ら喉を斬り、この命を絶ちます」
この流麗の発言に、清牙王は焦りの表情を見せ、また家来達もざわめき出した。
「姫様何をお考えに……」
「本気なのか……」
皆がざわめく中、闘牙王は相変わらず冷静だった。
「嵩明良」
「――はっ」
闘牙王は流麗を見た。流麗も闘牙王を見ている。
素早く視線を嵩明良に戻し、嵩明良にこうも告げた。
「お前がこの先どう変わってゆくか、暫く、様子を見る」
間もなく夜になる。闘牙王も清牙王も、家来たちも城の中へ戻っていった。
「嵩明良……」
「吾は中には入れぬ。今宵は、ここで過ごす」
「――ごめんなさい」
「早く中へ。もうすぐ陽が西の果てに落ちる」
門は閉まり、嵩明良は外で一夜を過ごした。

時間は刻一刻と過ぎる。
広い部屋で、闘牙王と清牙王の二人は暖をとり、会話を交えていた。
「兄貴の考えはどうもよく分からん。私の目には、あれは嵩明良を許したとしか見えなかったぞ」
「バカな……。俺は嵩明良を許すつもりはない。ただ、十六夜に、二人を見守れとそう言われた」
「十六夜に、か。そういえば葦も、何もかも禁じてしまえば、流麗の心が壊れてしまうと。そう言っていた」
「俺もお前も、流麗に対して過保護すぎた。……さて」
闘牙王は立ち上がった。
「どこへ行く?もしや、嵩明良を招くつもりか?」
「――妙な勘違いはよせよ。きっと心細いであろう、流麗の為だ」

夜が深まるに連れ、気温が徐々に下がっていく。
いくら大妖怪といえど、真冬の寒さは身に沁みる。
雪が降らぬことだけが、何よりの幸いだ。
そこに、白い息を吐きながら闘牙王がやって来た。
「お館……。如何されて……」
「嵩明良、今夜はとても冷える。早く中へ入れ」
闘牙王が己に手を差し伸ばした。
あれほどの敵意を見せていた闘牙王がこんなことをするとは、嵩明良は意外に思ったろう。
だが、嵩明良はそれを拒まず、その闘牙王の手を掴んだ。
闘牙王は嵩明良の腕を引き、そして立ち上がった嵩明良を連れ、裏を通り、城の中へと再び歩み始めた。
その時だ、闘牙王は途轍もない殺気を感じた。
同時に嵩明良もだ。
北方を見ると、何千という妖怪の群れが海を越え、こちらに向っている。
「あれは……」
「――嵩明良、どうやら今宵は、眠れそうにないぞ。――皆、竜舌蘭が来たぞ!!!」
闘牙王の叫びに、清牙王を始め、流麗や城の者全てが出てきた。
間もなく、素朴な柄を刺繍した炭黒色の衣と黒色の無地の袴を纏った、若い男が降り立った。
長い黒髪を下ろし、右手には、一振りの剣を持っている。
この男、如何にも不気味だ。
左目の周りだけ、妙な模様を描いている。
「――銀竜(ぎんりょう)だな?」
「長はどこだ」
銀竜が訊ね、闘牙王は答えた。
「長は俺だ」
「違う……我が父と闘った、あの男だ!」
漸くその場に、竜舌蘭大魔王という頭目を前に、何千の配下達が現れた。
「久しいのお、闘牙王、清牙王。憎きあの男はどこぞ?」
低く不気味な声で、竜舌蘭が言った。
その竜舌蘭に、清牙王が答えた。
「とうに死んだ。主との闘いに負った、傷のせいでな」
「――ほお、死んだと……。あれごときで死ぬるとは、何とひ弱な」
「竜舌蘭よ」
闘牙王が言った。
「再び日本に舞戻ったのだ。我々、たっぷりとおもてなしをしてやろう」
「おう、それは何と願ってもないこと。――銀竜、そちの相手はあの流麗だ」
「流麗……?」
「清牙王の一人娘。一筋縄ではゆかぬ」
「相手があのような女童なら、剣を抜く必要も、ありませぬ……父上」
「――流麗!」
嵩明良が流麗の横に並ぼうとした時、突如二人の女が嵩明良の前に立ちはだかった。
「嵩明良!貴方の相手は、この葉蘭(はらん)と紫蘭(しらん)です!」
この女、銀竜の忠実な僕である。
葉蘭は魔術師であり、あらゆる妖しの術を扱う。
武器では、弧状の剣を持つ。
紫蘭は風使いである。
双方に色鮮やかな扇を持ち、自然の風を意図も簡単に操る。
嵩明良はついに、腰に下げる剣を抜き、葉蘭と紫蘭と剣を交えた。
――銀竜は剣を抜かず、そのまま身を構えた。
一方の流麗は素早く剣を抜くと、容赦ない攻撃を始めた。
流麗の攻撃を、銀竜は鞘のみで確実に払い、受け止める。
両者に間があいた時、流離は言った。
「剣を抜け!」
だが銀竜は答えない。
剣を抜かず、身を構えたまま、流麗から目を放さない。
流麗はもう一度、銀竜に攻撃をする。
剣と鞘が組み合った時、流麗はもう一度言った。
「何故抜かぬ」
「――――」
「闘いの為なら私は命は惜しまない。お前もそのはず」
「――――」
「さあ、早く剣を抜くのよ!」
もう一度離れ、剣を持ち直すと、流麗は剣の技を連発した。
銀竜はけして剣を抜かず、流麗の技を、ひたすら鞘だけで受け止めていた。
「――我が息子と、主らの姫はそれぞれに任せ、こちらはこちらで楽しもうぞ」
三百年ぶりの大乱闘が、ついに本格化した。

十六夜は濡れ縁に立ち、その方向をじっと眺めていた。
「十六夜様」
「――――」
「十六夜様、お体が冷えます故、どうか早くお部屋へお戻りください」
うら若き武士の刹那猛丸が十六夜の背後で言うが、十六夜は全く聞く耳を持たない。
ただ、目前の閃光立つ光景を見て、心の中でこう思った。
――闘牙様が言っていた、唐の大妖怪……ついに日本に来られたか……と。

表で大乱闘を施す時、大分離れた所で、竜舌蘭の手下達が城に矢を打ち込もうと、大弓を引いていた。
そして将軍の合図により、想像つかぬほどの両の矢が一斉に放たれた。
矢は素早く飛び、城の壁を突き抜け、床に突き立ち、置物を壊す。
一度でなく、何度でも矢を打ち込むそんな中、葦は一振りの刀を持って、ついに立ち上がった。
外へ出る扉の手前まで来ると、向こう側に氷雪がじっと立って、こちらを見つめている。
「氷雪」
「どこへゆかれる」
「殺生丸や他の子達を守る為に、矢を防ごうかと」
「彼奴らはわたくしの獲物。お前の出る幕は無い」
「放たれる矢の威力は強く、数も膨大です。流石との貴女も、お独りでは難儀でしょう」
葦の言葉が、氷雪は気に入らなかった。
氷雪は素早く扉を開けると、表に飛び出、何千の矢を爪から伸びる光るムチで、意図も簡単に折った。
氷雪は出てきた扉を閉めると同時に、葦が別の扉から出てきた。
素早く扉を閉めると、刀を用いて、まるで舞うかのような足取りで、矢を斬り捨てた。

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「HERO-真の英雄- 四」   優サマ
あれほどの矢の雨が止んだ。
どうやら、矢の数がきれたようだ。
「――見事な腕前」
「氷雪ほどには及びません」
切れ長の氷雪の目は、横目で葦を見つめ、こんな事を言った。
「闘いは苦手な性分と言っていたはウソ。本当は何者です?」
「――我が正体を知る者は、長と夫。そして、娘のみ。他が知れば、殺さねばならぬやも……」
「――――」
「一族は闘いを好まぬということは真実です。ただそれだけ、どうかご承知を」

闘牙王と清牙王はそれぞれ最強の妖刀を手にし、竜舌蘭大魔王と激闘を繰り広げていた。
闘牙王は鉄砕牙の威力である風の傷を発し、負けじと竜舌蘭が、口より強大な妖気を吐いた。
竜舌蘭が吐いた無限の妖気は、風の傷を飲み込み、そのまま、闘牙王と清牙王の元へ突っ走る。
「下がれ、清牙王。――奥義・爆流破!!!」
鉄砕牙の一振りで、爆流破が放たれた。
鉄砕牙の妖気と竜舌蘭の妖気は激しくぶつかり合い、辺りは、よりいっそう眩しい閃光に包まれた――。

『お前にとってやるべき事とは何だ』

「――――」

『清牙王と共に、この国をただ根城にする事か。それとも命を懸け、竜舌蘭や、その他、魑魅魍魎と闘う事か』

『英雄なる貴方の血を受け継いだ私は、貴方と同じ道を進むまでです』

『闘牙王よ、どうも余の目には依然……お前は悪い風にしか映っておらぬようだ』

――父上。
俺が悪い風に見たのは仕方がない。
俺が長となって、まず第一にやらねばならなかった事は、貴方を殺すことだったのだ。
史上最強の……英雄なる大妖怪である貴方を、殺すさえすれば――。
きっと俺自身、“真の英雄”になれるとばかり思っていた。

『今後からは英雄になろうとは思わないように。
あなた方一族は、他者とは違った意の英雄になる為に、生まれてきたのです』

突如、目前の計り知れない妖気の塊が、闘牙王の方へ走った。
「――兄貴!」
目前の光景を目にしつつも、闘牙王は、返答のない問いを十六夜にかけた。
「十六夜……お前は、一体何が言いたい?」

計り知れぬ妖気は闘牙王の身を飲み込んだ。
それを目の当たりにするその場の者は、皆、言葉を失う。
「――あの男の血筋を受け継ぐというに……まこと、呆気ない最期だ」
銀竜が言った。
銀竜の言葉が許せず、流麗は、怒りを露にして銀竜に斬りかかった。
「お館様をバカにするか!」
流麗が振り落とした剣の刃を、銀竜はついに剣を抜き、その銀(しろがね)の刃で受け止めた。
刃と刃が、ギリギリと音を立てて、擦りあう。
「唐人、今の言葉を取り消せ」
「程ほどにせねば、流麗、死ぬぞ」
「聞こえぬか!今の言葉を取り消せ!」
細身ながら、流麗は底知れぬ力で銀竜を押していく。
だが銀竜は腕一本で剣の柄を持ち、その不気味な目で流麗を見つめ、口からこう言った。
「流麗、心の乱れは剣の乱れ。心が乱れていれば……命取りだ!」
銀竜が流麗の剣を奪い払った。
そして剣を振り落とした時、流麗は、恐怖のあまり腰を抜かし、目を閉じてしまった。
数秒だけ目を閉じ、また目を開けると、前に嵩明良が立ち、己の剣で銀竜の剣の刃を受け止めていた。
「そなた……」
「――――」
「そなたこそが、出雲を治めるという嵩明良か?」
「――如何にも、我が名は出雲の嵩明良」
「嵩明良、私と流麗の戦、邪魔するか」
「銀竜、その汚らわしい手で、流麗の髪の毛一本でも触れてみよ。
この嵩明良が地獄の果てまでも、貴様を八つ裂きにしてやる」
流麗の目前で、嵩明良が初めて本性を露にした。
暫し両者は睨みあうが、銀竜は剣を引き、やがて嵩明良と流麗の前から去った。
嵩明良は膝を地面につけ、腰を抜かす流麗と目線を合わした。
「大丈夫か、流麗」
既に嵩明良は、本性からいつもの顔立ちに戻っている。
優しい声で流麗に声をかけるが、当の流麗は銀竜の剣の技にとても恐れ、未だに小刻みに身震いをしている。
「すまなかった。怖かったろう」
恐怖のあまりに震える流麗に、嵩明良は流麗を抱きよせ、気を落ち着かせる。
身を抱かれると、やはり涙が出てしまう。
嵩明良の胸ですすり泣く流麗に、嵩明良は言った。
「流麗、お館は無事だ。安心せよ」
涙目ながら、流麗が闘牙王の方へ目をやると、
闘牙王は鉄砕牙を地に突き立て、鉄砕牙に体重を全て預けていた。
息は切れ、傷を負ってしまったようだが、鉄砕牙が張った結界のお蔭で命は無事だった。
「そち、あの男よりも手ごわいな。これは面白いやもしれぬ」
息子の銀竜を傍において、竜舌蘭が言った。
「――もしや、逃げるか、竜舌蘭」
「手負いのそなたと闘い、我らが勝っても嬉しくはない」
銀竜の言葉に、闘牙王が嘲笑した。
「腰抜け共が……」
「ふん、有難く思え……長殿」
やがて竜舌蘭は、銀竜と手下を連れ、退却した。
「旦那様」
――清牙王に支えられ、闘牙王は城へ戻ってきた。
「氷雪、殺生丸と……他は……」
「葦をお守りした故に、無傷でございます」
「そう、か……」
「旦那様こそ、酷いお怪我を」
「――暫し休む」
清牙王に支えられたまま、闘牙王は部屋へ戻り、そこで当分深い眠りに就いた。

――十年が経った。
赤子だった殺生丸は立派までに成長し、流麗も女童からより美しい女性となった。

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

深夜、嵩明良は如何にも珍しい女に話があるとのことで、
人目につかぬ場所でその女と待ち合わせをしていた。
その女の名は、天照大神。
有名な男神・伊弉諾尊と女神・伊弉冉尊の娘で、月読尊と素盞鳴尊の姉神だ。

ここからは余談だが、古事記によるとその昔、世界は泥のような状態だった。
そこにイザナギとイザナミの最初の夫婦神が降り立つと、
神々の住処である高天原(たかまがはら)が出来上がった。
二人は混沌とした下界に天沼矛という矛を突き刺し、かき回した。
すると矛の先から滴り落ちた塩が固まり、一つの島ができた。
この島を、葦原中つ国という。
国生みが終わり、次は山河や海、岩、土、草、風など司る神々を生み出した。
しかしイザナミが火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)という、火の神を生んだ時、
陰部に火傷を負い、死んでしまった。
嘆き哀しんだイザナギは、イザナミを現世に連れ戻そうと、黄泉国を訪ねた。
二人は再会を喜んだが、よく見るとイザナミの体にウジ虫がわき、八人の雷神を生んでいる。
イザナミのあまりの恐ろしい姿に、イザナギは逃げ出した。
突然逃げ出したイザナギに、イザナミは鬼女や雷神や大勢の軍隊にイザナギを追わせた。
イザナギは髪飾りを投げ野葡萄をはやしたり、櫛の歯を折って竹の子をはやしたり、
桃の実を投げ追手の気を逸らし、ついに黄泉とこの世を結ぶ穴を大岩で塞いだ。
大岩を境にイザナミはイザナギにこう言った。
「あなたの国の人間を、一日に千人殺します」
こう言えば、きっとイザナギは岩をどかすと思ったのだろう。
だがイザナギはイザナミに最後としてこう告げた。
「私は一日に、千五百の人間をつくろう」
生還を果したイザナギが身を清める為に禊をすると、捨てた杖や衣服から次々と神々が生まれ、
更に左目を洗うとアマテラス、右目を洗うとツクヨミ、鼻を洗うとスサノオが生まれた。
イザナギはアマテラスに高天原を、ツクヨミに夜国を、スサノオに海原を治めるよう命じた。
三貴神は与えられたものをよく治めたという。
だが言い伝えや神話とは、それその一つだけとは限らない。
出雲神話によれば、スサノオは調子にのって高天原で狼藉を働いていた。
スサノオの行動に、アマテラスはそれまでスサノオを庇っていたが、
あまりの非道ぶりについにアマテラスは怒りし、天岩戸(あまのいわと)に閉じこもってしまった。
太陽の神であるアマテラスが隠れてしまったことで、
天上は闇と化して災いが起こり、また天下も作物が全て枯れてしまった。
八百万の神々は相談し、天岩戸の前でお祭り騒ぎを始めた。
企ては成功し、アマテラスは誘き出され、天地に再び光明が訪れた。
スサノオは髪や髭を切られ、手足の爪を抜かれ、高天原を追放されたという。
狼藉を悔やみつつ出雲国に天降りた時、出雲の脚摩乳と手摩乳の老夫婦神と、その娘・奇稲田姫と出会った。
聞けば娘のクシナダヒメが、龍神・八岐大蛇の生贄にされ、既に七人の愛娘を喰われてしまったという。
スサノオはヤマタノオロチと闘い、やがてオロチを倒した。
オロチの尾を切り落とした時、尾から出てきたとされるものは、八尺瓊勾玉、八咫鏡、天叢雲剣の三種の神器の一つ。
神剣・天叢雲剣だ。
この剣を手にした後、スサノオは高天原に戻り、アマテラスに献上した。
そしてスサノオはクシナダヒメと結婚をし、須賀に宮を作り、平穏に暮らしたという。
上記の歌は日本最古の、スサノオが詠んだとされるものだ。

余談をここまでにして――
待ち合わせの時間が過ぎても、まだ嵩明良は来ない。
アマテラスは高天原がある天上を眺めながら、一つ二つ、三つ四つと歌を詠み、ずっと待つ。
大幅に遅れ、嵩明良は漸く来た。
「随分と遅かったのですね」
アマテラスが言った。
「すまない……急な用ができた」
急いで駆けつけたせいで、嵩明良の息はとても荒い。
「まあ、よろしいでしょう。して、高名なる大妖怪が、このアマテラスに話とは何です?」
「ああ……」
未だ息を荒らしながらも、嵩明良は話をした。
「そなたが持つ、神剣・アメノムラクモの剣を、この嵩明良に譲ってはくれぬだろうか」
アマテラスが言葉を詰まらせ、嵩明良に焦りを見せてしまった。
「――それは、さすがに……」
「無理と……?」
「元よりお腰に、立派な一振りがあるではないですか」
「その神剣を手に入れる理由は、流麗の為にあるのだ」
「流麗……?この西国を支配する、一族の姫か?」
「――そうだ」
「話は分かりました。が……」
「――どうすれば、その気に!」
次第に嵩明良が苛立つ。
アマテラスは苛立つ嵩明良に対して、こう告げた。
「嵩明良、明日、故郷へ戻りなさい。夕刻に出雲にて、私と決闘です。
そなたが勝てば、望みの剣をくれてやりましょう」
「明日……明日、か……」
「よろしいですか」
「――分かった。必ず」
嵩明良が引き上げようとした時、アマテラスは嵩明良を引きとめ、一つだけ、問いをかけた。
「愚弄なスサノオが、ヤマタノオロチを倒し、神剣を手に入れ、クシナダヒメと祝言をあげた。
多くの神や人間共は、スサノオを厄神、荒ぶる神ではなく、名実ともに英雄な神と崇める者ばかり。
そなた、かような英雄になろうとは思ってなかろうな?」
アマテラスの問いに、嵩明良は何故か微笑を浮かべ、こう答えた。
「吾は出雲の生まれだ。幼少の頃、よく父や母から出雲神話を聞かされた。
その時から変わらぬ我が願いは、スサノオと同じく、英雄になる事だ」
そう嵩明良が言うと、アマテラスは微かに嘲笑した。
そして、最後にこう告げた。
「嵩明良、覚えておきなさい。
どう努力しようと、そちのような者共がこの世にいる限り、まことの英雄になれぬのです」

翌朝。
「出雲へ帰るだと?」
闘牙王が言った。
「大事な仕事がはいりまして、急遽出雲へ帰ることとなりました」
「我が娘には告げたのか?」
「既に」
清牙王は少々厳しい表情で、闘牙王を見る。
闘牙王は嵩明良に言った。
「嵩明良、今日の夕刻……もしや明日また、竜舌蘭らが来るやもしれん……そんな状況だぞ」
「流麗の事はとても心残りですが、全ては流麗の為。出来るだけ早く戻るよう、全力を果します」
二人から出雲帰省の許しを得ると、流麗にたった一言告げ、嵩明良は故郷へ戻った。
嵩明良の姿が遠のいていくのを、殺生丸は別の部屋からじっと眺める。
「殺生丸、何をずっと黙って見ているのですか」
傍に母の氷雪がやって来た。
「――母上、何故父上と清牙王様は、いつも嵩明良に帰省の許しを下すのですか?
殺生丸には、父上達は姉上以上に、嵩明良を信用しているようにしか見ませぬ」
殺生丸が言う言葉に、氷雪はやがて、過去の事を殺生丸に打ち明けた。

――氷雪(ひせつ)の故郷は蝦夷国(えぞのくに)。
天下無双の誇り高い父と母はともに、北国を支配する大妖怪であった。
だが母はまだ氷雪が幼い頃に死に、以後、父と共に相変わらず北方を支配していたが、
間もなく父も信用していたある一族の首領の裏切りによって、非業の死を遂げてしまった。
両親を亡くした氷雪に、他の身よりは誰もいない。
父を死に導いた首領の首をとる為に、氷雪は故郷も支配する国も全て捨て去った。
長年の放浪の旅路に、やがて氷雪は西国に来た。
その時、その国を根城とする男が前に立ちはだかり、立ち会うことになった。
その男こそ、闘牙王だ。
立ち会った直後に二人は恋に落ちた。
やがて闘牙王は、氷雪よりこれまでの事を聴くと、氷雪の仇討ちに力を貸すと約束をした。
そして、氷雪によくこう言ったものだ。

“仇を果せば、俺と共にこの西国で暮らそう。過去は忘れ、一人の男と、女として生きよう”――と。

それから間もなく。
“出雲の王族が、あの首領の手によって倒された”
その言葉が耳に入った。
当時の出雲の王は嵩明良の父親。
その首領というのが、過去に氷雪の父を死に導いた者という。
闘牙王、清牙王と当時の出雲の王は、互いに本名を言い合う程の深い付き合いがあった。
偶然にも仇が一致し、またその一大事を知ると、闘牙王と清牙王と氷雪は出雲へ、
父親と出雲の一族の仇討ちを試みた。
首領の配下は三千いるが、三人には居ないも同じ。
剣や能力によって、次々と配下を倒す。
全て倒し終えた時、三人の目に嵩明良の姿が映った。
丁度、あの首領と闘っている。
嵩明良の左の頬には夥しい量の鮮血がこびりついていた。
返り血でなく、首領が嵩明良を斬りつけた時についた、まさにその傷から出る血だ。
今生きていれば、妻になるはずの如月を守る為に必死だったが、無駄だった。
如月の死を目の当たりにした嵩明良は激しい怒りに燃え盛り、首領をたった一撃で倒した。
一族を失い、許婚も失った嵩明良の心は、きっと切り裂かれた布のようにボロボロだったはず。
顔の傷の痛みは感じず、死んだ如月を強く抱きしめると、喉が潰れるくらいの大声で泣き叫んだ。
そんな嵩明良の姿をじっと見つめる闘牙王と清牙王は、きっとこう思ったに違いない。
“嵩明良は己の命を顧みずに、如月を守った。あの嵩明良こそ、英雄だ”

「お二人の心は、もはや、嵩明良を息子のように思っているはず。
そうでなければ、過去の一件に懲りぬ嵩明良を、旦那様達は迷いなく殺している。
たとえ流麗の前だろうと、信ずる友の息子だろうと……」
笛が聞こえる。
流麗の笛の音色だ。
嵩明良の無事を祈る為か、優しい、穏やかな調べだった。

嵩明良が出雲へ帰って半月。
そろそろ帰ってくるだろうという時、再び竜舌蘭大魔王らがやって来た。
竜舌蘭と、闘牙王と清牙王は真の姿に形(なり)を変え、激しい激闘を起こす。
その他の氷雪や殺生丸、葦や家来達も、葉蘭、紫蘭を含め、数千の妖怪と闘う。
その者達とかけ離れた場所で、流麗と銀竜も、それぞれ剣を手に闘っていた。
一方的に剣を振るう流麗に対して、銀竜は確実に受け流していく。
だが一瞬見せた流麗の隙を、銀竜は見逃すことはなかった。
流麗が倒れた。
左の横腹から激痛がはしる。
そこを右手で押さえ、そしてその目で見た。
ただそっと横腹を触れただけなのに、右の掌は真赤な鮮血がべっとりとついている。
何ともおぞましい姿と、果てしない激痛に、流麗は喉から先、言葉が出ない。
倒れる流麗の傍に銀竜が歩み寄り、流麗を見下し、そして冷酷に言った。
「余程心が乱れていたようだな。まこと、そなたは変わらぬ男姫よ……」
短くそういうと、銀竜はそこを離れた。

漸く嵩明良が西国へ戻り、その足でまっすぐ城へ向っていた。
その途中、突如葉蘭と紫蘭が嵩明良に刃を向けた。
葉蘭は剣を、紫蘭は双方の扇を鋭い刃物に化かせ、嵩明良を狙って振るい落とした。
素早く嵩明良は腰に下げる鞘より剣を抜くと、葉蘭の剣と紫蘭の扇の刃を受け止めた。
「貴様、果たしてまたお館らと乱闘していたか!」
互いの刃が擦りあい、ギリギリと嫌な音が響く。
佳人でも、その心は残虐極まりない葉蘭と紫蘭は嵩明良を見つめ、そして言った。
「今日の戦は、わたくし達の勝ち」
「男姫が銀竜様の手によって、黄泉へ逝った」
「男姫……男姫だと!?」
「今頃行っても、もう遅いぞ」
「――おのれ!!!」
嵩明良は大きく剣を振るった。
葉蘭と紫蘭はその刃を避けるが、嵩明良は深追いはせず、
素早く剣を鞘に納めると、無我夢中に流麗の所へ走った。
「無駄な悪あがきは、見苦しい!」
紫蘭が扇を広がせ、計り知れない風を背を向ける嵩明良に放った。
嵩明良はそれに気づくと、今度は背より、金属製の剣を抜き、刃を地面深くに突き立てた。
その時、激しく地面が揺れ、二つに割れ始めた。
流石の葉蘭や紫蘭もこれには恐れ戦き、その場から離れた。
やがて、地面の揺れも割れも止まった。
辺りを見回すと、嵩明良の姿は、もういない。
――嵩明良は倒れる流麗を見つけた。
「流麗!大丈夫か!?」
抱きかかえると、横腹からどくどくと血が流れ、顔も手も既に氷のように冷たくなっていた。
まるであの時と同じ。嵩明良の心臓は張り裂けそうなくらい、強く鼓動を打つ。
「誰か……誰か助けてくれ!流麗が斬られた!!!」
嵩明良の叫びを聞きつけて、遠方にいた闘牙王や清牙王や、皆が一斉に駆け寄ってきた。
「流麗……」
「姫様!」
流麗の姿を見ると、誰もが背筋が凍りついた。
「――流麗っ!」
家来達を押し退けて、葦が姿を現した。
「流麗……流麗、しっかりするのです!」
「――葦、流麗から離れよ」
清牙王が言う。
だが葦は離れようとはせず、大粒の涙を落としながら、流麗を大きく揺さぶる。
「むやみに流麗に触れるな!」
清牙王は葦の二の腕を強く掴み、乱暴に流麗から引き離した。
「葦様、どうかご冷静に」
「姫様はきっと大丈夫ですよ」
流麗から引き離された葦を、家来は心を配る。
清牙王は嵩明良の横に膝を付け、目を合わした。
「嵩明良、この傷はもしや……銀竜の仕業か?」
「はい。刺客の葉蘭と紫蘭も、そう申しておりました」
やがて闘牙王がその腕で流麗の体を抱え、そして家来達に命じた。
「よいか、皆!よう聞け!再び奴らが舞いこんで来ぬよう、命を賭して、この一帯を守るのだ!」
手下は「おう」と、闘牙王に答えた。
「――葦、せめて流麗に楽を……」
「――――」
最早葦は放心状態で、何も言葉は聞こえない。
闘牙王は、ちらりと清牙王を見ると、先に城へ戻った。
何を命じられたか、清牙王は即座に承知し、愛妻の肩をそっと抱いて、ゆっくりとした足取りで城へ戻った。

数日後――。
「お館、お館!」
嵩明良が、海辺にいる闘牙王の許にやってきた。
「――冥加、外してくれ」
主の命により、冥加は闘牙王の傍から離れる。
嵩明良は闘牙王の背後へ来ると、砂の上に跪いた。
「お館、流麗はたった今、意識を戻しました。薬師の斉資によれば、もう心配も要らぬようです」
「――――」
「お館、吾は今しがた清牙王様から、流麗の夫(つま)になる許しを得ました」
「――――」
「後はお館だけ!今日こそ、この嵩明良に許しを!」
「――斉資はただ傷を縫い、痛みを抑えただけ。あの傷は、もう一生消えぬ……」
「流麗が致命傷を負ったのは、全ては吾の責任です。もう少し早く戻ってさえいれば、あんな傷を負うこともなかった」
「お前がそう言うのなら、たとえ清牙王が許しても、俺は許すことはできんな」
「ですが先日、出雲にて、神なるアマテラスと、アメノムラクモの剣をめぐる決闘を施しました。――この通り」
嵩明良は背に下げる剣を両手に持ち、そして鞘から抜いた。
「吾はアマテラスに勝利し、お館の天下覇道の三剣、内の叢雲牙とほぼ同じ力を持つ神剣を手に入れました。
これさえあれば、流麗を守ることは簡単なこと」
抜かれた神剣の刃にはヤマタノオロチの紋様が浮かび、
更にそこから、目には見えない禍々しい“気”が立ち上がっている。
「お館、吾は流麗の傷を完全に癒す為に、今日限りで出雲と、父より委ねられた王座を捨てる覚悟です」
「――――」
「この命尽きるまで、永久(とわ)に流麗の傍にいる事を誓う!」

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